ギャラリー杜の音 コラム⑨

今回のタイトルは

「医師と患者の溝」

( 過去のコラムはこちらから →        ) 

 

以前、入居者の身元引受人で医師のOさんとの世間話を紹介いたします。

むかしから医師と患者との間には「溝」があると言われています。簡単に飛び越えることのできない深い溝です。なぜ、溝があるのでしょうか。

 まず何よりも医師と患者という「立場」の違いが自然に溝をつくっています。医療界に限らず、教育界では教師と生徒。年齢の差、だけではなく教える側と教わる側のズバリ師弟関係です。

販売業界では店員と客。こちらは、お金で商品を売買するという、接触は短時間が多い。買い手側が絶対的に強く、無理な要求がある時もあります。また、ときには会話の相性や衝動によることもあります。       いわゆる、営業マンはこの溝をいかに埋めるか日々、切磋琢磨するものです。つまり、提供側と受け手側の関係を考えれば、この世には良し悪しを超えた立場の違いが無数にあります。

 

 

 

もう一つは両者の「知識」の差です。

例えば今まで病気とは無縁の50代の男性が深夜に下腹部から腰にかけての猛烈な痛みに襲われたとしましょう。1時間経っても痛みは取れず家族に救急車を頼むが、エビのように身体を屈めて痛みを我慢しながら「悪い病気⇒入院⇒手術、今までにない痛み⇒もしかしたら死んでしまうかも」という不安が頭を駆け巡る。

一方、救命救急センターの担当医はすぐに病気の見当がつき、簡単な検査の結果、腎臓から膀胱まで尿を通す尿管に石が詰まっておきた「尿路結石」との診断がつく。痛みは強いが生命には関わらない病気です。患者には初めての体験が、医師にとってはごく日常的なことであります。例えば、将棋の何十手先も瞬間的にひらめく棋士と同じように、医師もまた病名を知れば即座に先の先まで予想ができる病気のプロであるのに対して、患者は医学には全くの素人であるから知識に格段の差があって、そのためにギャップが生じるのはごく当然です。

 溝ばかりではなく「言葉」という壁もあります。医学用語は難しく、医師から早口で「ナイシキョウデギャクリュウセイショクドウエンガ、ミツカリマシタ」と言われてすぐに理解できる人がどれだけいるでしょうか。医師には、難しい医学用語をかみ砕いて易しく患者に伝える技術も求められます。(内視鏡で逆流性食道炎が、見つかりました。漢字で書いても分かりづらい)

また、治療により治るのかどうか?術後どうなるのか?どのくらい入院が必要なのか?費用はどのくらいかかるのか?その治療の他の方法はないのか?   

セカンドオピニオンで別の医師に相談したい。裏を取り安心したい。この医師に任せられない。

などなど、医師は人命を扱う使命の中で人間性や人格まで問われるようです。

 

 

 

立場の違いはそれぞれの立場を逆転するとよく判ります。医師といえども病気になれば患者になるというのが、その良い見本です。自分が患者になるとその溝が更に見えてきます。Oさんは現役の時にガンが解り入居者の方よりも先に亡くなってしまいました。「患者側が溝を埋め、壁を取り払うことは難しいが、出来ることはただ一つ、自分が分からないことは納得のいくまで我々医師によく聞くことです。変に医師に対して気を遣い、理解をしたふりをするのはよくないこと。」病床でこの溝について語っていたことを思い出します。

 Oさんは開業医として、このような溝があることを始めから勘定に入れ、患者に接し自分の方から溝を越えて患者の気持ちやその人の言葉に近づくよう努めてきたそうです。今後、大病院の医師も患者の横に座り、患者と同じ目線でその病気を一緒に眺めながら話すことが出来たら地域医療は最高であると。

「無念だ、無念だ」といっていた言葉の重さを感じながら、思い半ばに旅立ったOさんに合掌です。

文責:千葉政美